Monday, February 18, 2008

Little Athlete

30-year old in Chicago Maratonに続くブログを始めました。

Little Athlete
http://littleathlete.blogspot.com/

新たなチャレンジに向けてのトレーニング生活とその日常を皆さんにお伝えしていければと思います。
是非、ご覧下さい!

Sunday, October 21, 2007

2007 Chicago Marathon - 30th anniversary


あのマラソンから2週間が経ち、シカゴの街は、長い冬眠に備え今ぞとばかりに外出する人達、ハロウィーンで飾りつけられた店でにぎわう。Lincoln Parkも紅葉となり、ランニングの風景が変わる。毎週末のグループランニングも終わり、朝早く起きて何10kmをあたかも当たり前かのように走ることは、もうない。42.195kmという長距離を走り、ダメージを受けた両足の人差し指の爪の今後の行く末を少し気にしながらも、またすぐにでも走り始めたい気持ちがこみ上げる。

そんなポストマラソンシンドロームの中、ふと考えた。このマラソンが持たらしてくれたものとは、いったい何だったのであろうかと。

それは大きく3つ。まったくもってその通りの「健康」、何となくそうなるであろうと分っていた「自信」、そして個人克服的スポーツからは意外な「共有」であった。

まずは健康。

最初に思いつくことは、日々の食事がとてもおいしくなったことである。毎週ランニングを通して約1500kcalから3000kcalを消費する生活が約10ヶ月続いた。食事の時間になったから潜在的にお腹がすく訳ではなく、エネルギーを消費したからお腹がすく。体が食べ物を求める。そんな感覚は、子供の時運動場で思いっきり遊んだ時以来感じたことがなかったのではないだろうか。

そんな食欲が続いた10ヶ月、身体測定記録はどうであろうか。

今年1月14日、トレーニングを初めて2週間目の記録:
体重68.4kg 体脂肪率18.0% 体年齢34歳 BMI24.2 
骨格筋率34.4% 内蔵脂肪レベル8.0 皮下脂肪率11.5%

9月23日、トレーニングを初めて約10ヶ月目の記録:
体重66.0kg 体脂肪率15.8% 体年齢31歳 BMI23.4
骨格筋率35.3% 内蔵脂肪レベル7.0 皮下脂肪率10.1%

雑誌で特集されるような「2週間で体重が5kg落ちる!」という成果ではない。当初の目標体重値59.9kgからもほど遠い。しかし、全体的に脂肪がしっかりと燃焼されながら筋力が発達し、結果的に対年齢が3歳若返った。おいしい食事を好きなだけしても、トレーニングによって体がどんどん改善される。マラソントレーニングとはそういうものであろうと思う。残念ながら、まだ実年齢30歳の体に到達してはいない。東京生活時代に続けた不摂生の代償の大きさをあらためて実感する。

次に自信。

未知の経験を達成した時に得ることができる発見とその自信というものは、大人になればなるほど少なくなる。子供の頃、内緒でとなりの市まで自転車をこいでいき、色々な新しい街並を発見する。初めて海外に行って異文化を経験する。それらの経験から得られる、未知を知る自信は、とても大きい財産となってきた。今回のマラソンも、その未知の経験に対する挑戦であった。その未知を知るためのトレーニング、そしてとうとう未知を体験するマラソン当日。知ったからこそ得られる確かな自信。これは今後生涯の財産となるであろう。

また、運動に対する自信もついた。トレーニングを始める前は、2kmを歩くこと、オフィスの階段を使用することが、運動であった。自分の足で何百kmとトレーニングを重ねるうちに、20km走ることが可能になった。20kmを走った後の、ゴルフ、テニスが、週末の習慣になった。この距離感は、今まで持ったことのない尺度となり、運動の定義が大きく変えた。

最後に共有。

マラソンは、自分でペースを設定しそれを管理、克服することで目標を達成する、あくまでも克服的個人スポーツである。ただ、その過程においては意外にも共有できる物事が多数存在した。

まずはトレーニング。マラソンのトレーニングを本格的に始めるために16週間のグループトレーニングプログラムに参加した。そのトレーニングには、同じくマラソンを目標にする人達が参加している。それを通した出会い、毎週新たな距離を伸ばすモチベーション、様々な情報の全てがマラソン完走を支える要因となった。

また、ブログやメールを通して日本でトレーニングを続けるまめさん、K、グループこそ違えど、同じプログラムに参加した同僚Oさんと、トレーニングや体のコンディションを共有することで、どことなくお互い支えあい、最後のゴールラインを皆で踏むことができた。

マラソン当日は、スタートラインからゴールラインまで一寸も途切れること無くシカゴの人々、そしてelやNb、JやOs、DvやJ.J.が応援をしてくれた。日本では家族がインターネットで皆のチップタイムをリアルタイムで見ながら応援してくれた。そんな支えをくれた皆は、ただ一方的に応援してくれただけでなく、あのとてつもなく長い距離のレースを共有してくれたと思っている。

マラソンを走っている最中に、シカゴ南部にある貧困層の人々が住むエリアでかけてもらった、今でも忘れない言葉がある。それは、「You are all winners」(あなた達皆が勝者だ)。どんなペースであろうが、どんなコンディションであろうが、完走しようが、リタイヤしようが、今日この日、ここでレースに参加することを決めたあなた達皆が、勝者だ。そんな意味として理解した。その言葉を聞いた時に、タイムやペースを追いかける全ての欲が消え、ただただマラソンを走る自分に強く誇りを感じたことを思い出す。

そんな言葉を共有してくれたシカゴ南部の人達は、決して普段恵まれた生活をしている訳ではない。でも、彼らには勝者を認め、人の努力を尊敬する心を持つ人達であった。普段恵まれた生活をしている自分たちの口からは、なかなか他人に対して言い難い言葉である。

elとNbは来年3月のShamrock Shuffle 8Kに参加することを決めた。早速、elと先週3mile(5km)のランニングをし、来週ランニングシューズを購入する約束をした。

これら「健康」、「自信」、そして「共有」が、マラソンが持たらしてくれた、最も大切なことであると自分は考える。30歳という年齢で、マラソンというスポーツに出会うことができ、心からラッキーであると思う。一生の財産となるであろう。

マラソンを終えた今、既に次を考え始める。今後も好奇心旺盛に未知との遭遇を求めて、それに対し挑戦することは間違いないであろう。今年の挑戦はもう終わり。終わったのである。次が大事なのである、次が。

ヨーロッパで自転車のレースを探し、トレーニングをして参加しようかとも思う。来年10月、どこに住んでいようが、シカゴマラソンをもう一度走りたいという気持ちもある。ゴルフで80をきってみたいと思う。写真やテニスも、もっと上手くなりたいと思う。

この投稿で、今回の2007年シカゴマラソンに挑戦する記録を最後とします。次のチャレンジが決まり次第、このサイトで新たなブログサイトの告知をします。

このブログを読んでくれた皆様、マラソンを応援してくれた皆様、本当にありがとうございました。

RUN RUN RUN! Yoshiamigo, October 2007

Saturday, October 13, 2007

We are all winners - 4


いよいよ後半戦。12mileを超えた時点から、ペースが下がり始める。13mileの時点で、8分13秒/mileのペース。ダウンタウンの西に位置するWest Loopに差し掛かり、ちょうど半分の13.2mile地点でスタートしてから約1時間51分が経過。時刻は午前10時前。トレーニングの時は、多少のペースダウンをしても、+10から20秒の間でしっかりとペース維持ができていたため、しばらく様子をみながら走ることに。

ひたすら西へ走り続け15mile、16mileを超えた時点でペースは8分25秒/mileまで落ちる。しかもいっこうにペースを上げれる気配と自信が出ない。そう、やはり恐れていたシカゴではこの季節外れの猛暑で、体が回復する見込みは全くない。しかも、朝の早めの時間にダウンタウンの高層ビルや街中の影が多い比較的涼しい環境で走れていた前半戦から、低い建物の街中を通り抜け、気温は一方的に容赦することなく上がるばかりの後半戦に入ったのだ。「これはまずい」ふと脳裏に真剣な不安がよぎり始めたのも、この頃だろう。

約16.5mileのところにあるAid Station(給水所)で、初めてコップの水を頭からかぶる。そして、更にコップの水を足にかけ、できるだけ体を冷やす。マラソンでリタイヤする最大の理由は、脱水症状である。以前所有していた車のラジエーターに穴があり、特に夏場はよくクーラント液や水を足していたことを思い出し、車と同じように、人間の体もオーバーヒートしてしまうのだろうと考える。

体にかけた水は無情に簡単に乾き、また直ぐに体が熱くなる。昨日の戦略会議で話題にもなった17mile過ぎのPower GelがもらえるAid Stationまでもうすぐだ。そこでエネルギーを補給すればなんとか回復できるだろうとそれだけを考えひたすら走り続ける。

足が重い。死ぬ程暑い。あと約10mileをどのように走り続けることができるのか、自分でも少し先が見えなくなった、その頃にようやくPower Gelの看板が見える。予定では2つここでとって、1つをすぐに食べ、22mile地点でもう一度食べれば大丈夫なはずであったが、予想外の体力消耗でPower Gelを4つもらうことにし、2つを直ぐに食べる。そして、水をもう一浴び、そしてゲータレードをコップ3杯飲む。この補給区間で、スタート後初めて歩く。いつもは走りながら補給する水分も、ここでは歩きながらしっかりと補給。これがどれだけタイムロスであるかは分っているのだが、この時点で目標優先順位は明らかに「完走」。周りのランナー、特にペースランナーと呼ばれる3時間以降10分毎にゴールができるペースで走り、一般ランナーをガイドするボランティアランナー達も、明らかに遅いペースで走っている。ただ、いま振り返ると、まだこの時点では今回のマラソンが通常と比べ、どれだけ厳しい環境であったかを完全に理解することはできていなかった。ただ、ひたすら予定外の猛暑に耐え、ゴールラインを踏むことを考えるのみだった。

19mile時点でのペースは、9分6秒/mile。20milerの時のペースと比べると、約1分遅い。ただ、早く走ることなど到底無理。時刻も11時になろうとしている。気温は明らかに30℃以上。そして、体が熱い。この頃から、高架下をくぐる数十メートルの影や、たまにあるビルの影を見つけた時には、必ずその影の部分のみを歩くようにして、なるべく体をクールダウンさせるようになる。

20,5mileのHolstedまで走れば、2箇所目の待ち合わせで再びelとNb、更に友人のカップルDvとJ.J.に会える。彼らの前では歩きたくない。走っているところを見せたい。そんな思いが、自然と前に足を走らせる。ペースは10分20秒/mileまで落ち込む。どんなに長い距離を走っても、ここまでペースが落ちたことは未だかつてない。ゴールまでまだ6mileもある。大丈夫なのか。

南北に通るHolstedからチャイナタウンに向かうArcher通りで曲がる鋭角のカーブを曲がったその直後に4人が見えた。「暑さでペースは遅れてるけど、絶対完走してみせるからな!」そんなことを大きな声で叫びながら、皆と握手する。するとNbとelが一緒に走って来た。沸騰しそうな真っ赤な顔を見て気づいたのだろう、水を頭からかけながら「あともう少しだから頑張れ!」と声をかけてくれ、一緒に走る。また、この時点で、日本の家族がインターネットで実況中継を見て応援してくれていることを知る。各ランナーの靴についているチップで各距離のタイムがリアルタイムでアップデートされるのだ。テクノロジーを駆使した、国際的な応援に感謝。

200mくらい一緒に走ったところでAid Stationがあり、Nbとelが給水所のテーブルからゲータレードや水を次々と自分に持って来てくれる。まるでプロランナーのようなもてなしにひたすら感謝。4、5杯は軽く飲んだであろうか。通常であれば、それだけ飲んだ後はしばらくお腹に水分がたまり走れない。ただ、この日の暑さで水分の吸収がとても早い。これだけ飲んでも15分後にはまた喉が渇き、体が熱くなる。オーバーヒートする前に2mile毎に設置されたAid Stationにたどり着かなければいけない。そんな繰り返しであった。

elとNbにゴールで会う約束を交わし、再び1人で走り続ける。この頃から、周りで同ペースの人が次々と歩き出し、完全に熱中症で道脇で倒れ込んでしまった人を200mおきには見たような気がする。救急車のサイレンがひっきりなしに鳴り響く。これは異常だ。ついつい、倒れ込んでしまった人を見ると助けたくなるのが人間の心情。でも、自分の足を止めれば、それまで。自分も熱中症で倒れるかもしれない。完走を誓った思いを振り絞り、ひたすら走り続ける。

とてもAid Station毎の水では、持たない状況になった頃、市の協力により路上にある水道管の栓が解放され、コース中にシャワーを撒いてくれる。まったくの一般人が、自宅庭からホースをひいて、ランナーに水をかけてくれる。シカゴでは貧しいエリアに住む人達が、どこかのスーパーで買って来たボトルの水と、自宅の冷凍庫から出してきたであろう氷を配ってくれる。街の人の心の温かみを、身にしみて感じる。

後に分ったことであるが、公式記録では88℉(31℃)、街の一部では92℉(33℃)の暑さを記録した。今年のシカゴの夏でも、こんなに暑い日は記憶に無い。


elやNb、そして皆に支えてもらったおかげでペースが9分53秒/mileまで回復する。21mileを超え、チャイナタウンに入る。

前夜、胸のゼッケンの上に黒のテープで張ったYOSHIの文字のおかげで、マラソン中に計50回以上、老若男女問わず知らない人に声をかけてもらえた。「Looking good, YOSHI!」「We're proud of you!」「Run, Run, Run, YOSHI」中には「I should have gotten marry with you guys!」(貴方達と結婚するべきだったわ!)みたいな面白いかけ声もあった。任天堂のヨッシーのおかげで、たくさんの子供にも声を掛けられた。これが、本当に有り難い。

チャイナタウンでも同じように「GO YOSHI!」なんて声をかけてもらい、手を挙げて答えた。すると、コースに1人顔見知りの男が自分の横を走る。そう、チームの大ボスJである。前日までスイスに出張にいってたはずのJが、なんと抜き打ちで応援に着てくれたのである。どうやら、奥さんのT、娘のLも着てくれていたようだ。しかも、片手には750mlのボトルいっぱいに入った水を持っている。50m程一緒に走りながら、頭から水をかけてくれ、しかも別れ際にボトルをもらった。本当に砂漠で偶然発見したオアシスのような
、そんな瞬間であった。

チャイナタウンから南下し、コース最南端の22mile地点。影を見つけてはひたすら歩き、日差しの中を走る。その繰り返し。いよいよMichigan Avenueに差し掛かり、後は北に向かって約3mileの直線でゴールのGrand Parkに着く。もう、足の筋肉も限界、暑さはとっくに限界を超えている。また、この最後の直線には、まったく影が無い。日差し、気温共に絶高潮。

あと3mileに関わらず、人が更に倒れていく。ふと前の女性が急に歩道の方に倒れ、無意識のままに用を漏らしている。まさかの光景を目の当たりにする。救急車のサイレンはひたすらなりつづける。みんな、あと3mile。夏の間のトレーニングの中休み日で走った、あの軽い3mileが、とてつもなく長い。あんなに長い3mileは今まで経験をしたことが無い。最後の直線用に残しておいたと思ったPower Gelも、いつの間にか食べてしまい無くなっていた。

走る、歩く、走る、歩くをひたすら繰り返し、残り1mile。急に足が軽くなったのか、周りの皆も自分も走り出す。最後の気力で走る。もう、科学的トレーニングも何もない。ここで必要なのは、根性だけ。足はもう走れない。脳から走らないように指令を受けているところを無理矢理は知らせる感じ。Rooseveltに差し掛かり、最後に約400m程の緩やかな上り坂。「なんでやねん。何のためやねん。もう勘弁して。お願い。」と思いながら、ひたすら坂を摺り足であがる。坂を登りきって26mile。Grand Parkの南入り口に差し掛かると、FINISHの大きな緑のボードが見える。あと300m、200m、100m、50m、距離がどんどん近づく。

ゴール!!!!!! 4時間15分22秒で、完走。


やりきった。出しきった。もう何も無い。なんでも持ってってくれ。そんな気持ちで大声で雄叫びを上げた。
ゴールライン周辺は観客が多すぎて約束したelとNbはこちらからは見えない。でもきっと見てくれただろうと信じ、もう動かない足を少しづつ前に。少し歩いたところで、どうやら歩けていないことに心配し、医務員の人が近づいてくる。「Are you okay?」「I think so, I just can not walk anymore」「Probably, I am over heated...」そんなやり取りをし気づけば4人の医務員に方をかけられ、救急テントのベットで横になる。アイスを頭と首に、そしてなんだかよく分らない白い錠剤を2つ口に入れられる。20分程影で休んだであろうか。だいぶん体が良くなる。友達のゴールを見守りたく、ゴールラインへまた自力で戻りひたすら皆を待つ。5時間を過ぎた頃、会社の同僚のOさんのゴールが見える。他の皆とは、出発の5時間30分後にある場所で待ち合わせを決めていた。

そこに行くと、elがプラカードを持って待っていた。ここで、初めてゴール後再会。どうやら、ゴールラインをしっかりと見届けてくれていたようだ。しばらくすると、てっちゃん、そしてKが待ち合わせ場所に到着。この時点で色々な情報が耳に入り、状況が刻々と明らかになってくる。

どうやら、この異常に暑いマラソンで大勢の人が倒れ、マラソン開始後3時間半でマラソン大会自体をキャンセルすることになったと。
4時間の時点で半分地点に着いていないランナーは強制的にバスに乗せられて戻ってきたとか。それ以降のランナーは走らずに歩くよう警察から指示されたとか。5時間以降にゴールするペースの人達には、もう水もゲータレードもほとんどなくなっていたとか。

この時点でまめさんのみまだ待ち合わせの場所に来ていない。もしかして、バスに乗せられたのか。そんな不安がよぎる。5時間30分を過ぎたら、家で直接待ち会わせする約束をしていた。家に戻っていたら、誰もいない。ここは皆で戻ろうという判断をとり、帰路へ。かろうじて歩くことができるが、もう歩きたくない。そんな時、地下鉄が目に入りしかも駅員さんが「お前達マラソン走ったのか?いれてやるから、おいで」とゲートを開けて無料で入れてくれる。有り難い。ブラウンラインのシカゴ駅で降りて、家に戻ると、入り口になんとまめさんが。どうやら、無事にまめさんも完走したとのこと。途中警察が停めようとしているのを無視して、そのまま走り続けたらしい。そりゃそうだ。今まで10ヶ月、トレーニングをして、日本から遥々来てあきらめれるわけがない。自己責任で走り続け、見事にやり遂げた。

これで、全員が無事に2007年のシカゴマラソンを完走した。

自分の成績は、4時間15分22秒。全体で5673位。スタート地点にいたランナー約3万6千人の上位15%。このコンディションで、ここまでやれたことに大満足。後のニュースに寄ると、結局300人以上が病院に運ばれ、20人が入院。5人が絶対安静で、残念ながら、1人が死亡した。

とうとう第30回2007年シカゴマラソンが終わった。

Friday, October 12, 2007

We are all winners - 3

とうとう始まった。予想では5分くらいは混雑でもたつくであろうと見越していたのもつかの間、開始早々2分程で自分のポジションが走り出した。スタートラインからコース両脇にはびっちりと隙間の無いくらいの観客が応援してくれている。このどこかにきっとelがいるのだろうと思いながら、大観客の中を通り抜ける。

「マイペース、マイペース」自分に暗示をかける。だいたい今までのイベントを思い返すと、最初にスピードをあげてしまう傾向にある。ついつい、観客の前では余分に力んでしまうようだ。さすがにフルマラソンを飛ばしすぎると、完走すらできない可能性があると念じ、あくまでマイペースを貫く。

開始して1分程すると、ミレニアムパークを出る直前、コース全体の上に大きな橋が掛かっている。そこには大きなシカゴマラソンのスポンサーのバナー広告があり、「You inspire us」(貴方が私達を奮い立たせる)と大きくコピーが書いてある。そのバナーの周りから多くの観客がこちらを見ている。「観客と一体化した環境を利用してメッセージを最大化する素晴らしい広告例だな」と、走りながらもついつい職業病が出る。

1mileから5mileまでは、今日のランニングペースに馴染むことに徹する。約3万5千人のランナーが同時に走っていることや、大勢の観客がいることによって興奮状態をおさえることを意識する。ペースは作戦通り7分50秒/mileを守る。このペースで行けば、多少後半戦でペースが落ちても、目標タイム3時間30分をクリアできる計算だ。

先頭を走るいわゆるワールドクラスアスリートはどれくらいのペースで走るのかというと、だいたい約4分50秒から5分/mileで走り続ける。去年の優勝者のラスト1mileはスパートもあり4分/mileだったらしい。とにかく恐ろしいスピードだ。

5mileを超えたところで、いつもトレーニングをしているLincoln Parkへ差し掛かる。前日からしっかりと水分補給したせいか、どうも我慢が出来ず、また用を足す。これはトレーニングの時から分っていたが、ある一定間汗をかき続けると体の水分が膀胱へ到達する前に汗で出てしまうのか、一切トイレが必要なくなる。そのポイントに達するまで、用を足すのは仕方が無い。案の定、これから数リットルもの給水をするにも関わらず、この時点からトイレに行くことは無かった。

6mileを過ぎたところでLicoln Parkを抜け7mileを超えWrigley Villeへ。先日、シカゴカブスがプレイオフで負け、ワールドシリーズ出場を逃したそのホームグラウンド近辺である。カブスグッズを身にまといながら観戦している人が当然多くなる。

開始後約1時間が経過し、気温がぐんぐんとあがっているのを身をもって感じる。応援に着てくれる職場の皆に「坊主の日本人ランナーはそういないから目立つやろう」と言っていたのだが、当日の日差しを見越して急遽帽子をかぶって走ることにしたのは、このマラソンでも大きな決断の1つであった。帽子が無ければ間違いなく日射病に掛かってリタイアしていたであろう。

8mile近辺は、通称Boys Townと呼ばれるゲイの人達が多く住むエリア。女装をしたゲイのチアバンドがライフルの形をしたバトンを持ちながら必死に応援してくれている。これにはさすがに笑顔をもらう。

昨晩の戦略会議通り、9mile時点で持参して走ったEnergy Gelを食べる。これには運動に必要な栄養分が入っており、食べると約10分後ぐらいに体力が多少回復するのである。シカゴマラソンでは通常約2mile毎に給水場所があるのだが、Enegy Gelが供給されるのは約17.5mile地点を過ぎたところ1箇所のみ。フルマラソンでは自分の体格の場合約3200kcalが消費される。エネルギーを消費してしまう前に、正しいタイミングでEnegy Gelを食べ、一定のエネルギーを常に体に残す必要がある。

10mile地点で、会社の同僚のオランダ人Osが応援に駆けつけて来てくれる予定だったので、観客に注意を配り探しながら走る。スタートしてからこの時点まで、コースの脇にいる観客が途絶えたことは一度もない。しかも常に満員状態である。どれだけの人数がこのシカゴマラソンに参加しているのかと想像する。すごい群衆の中から、Osと奥さんのMm、娘のZyを発見!お互い興奮状態で会話もまともにかわせないながらも、しっかりとハイファイブを交わし、このマラソンの合い言葉「RUN RUN RUN!」と大声で歓声をくれる。自然と足が軽くなる。ペースも開始してから7分50秒/mile台をキープし続けている。

12mileに差し掛かる家から1ブロックのところにあるWellsとOntarioの交差点ではelと一緒にケアンズの結婚式にも着てくれたケニア出身のNbが待ってくれている。それを楽しみに、ただひたすら走る。分ってはいたが、ただただ果てしない距離を走るのみ。

今までの大会でもそうであるが、コースの大抵左側を走るようにしている。左に曲がることが多いことと、応援しに来てくれている人に分りやすいようにだ。

いた!スタート前に別れてから初めての再会。この時点ではまだまだ良いペースが維持できていたため、言葉を交わす暇もなくただただ応援に着てくれた2人にありがとうの感謝を伝え、後半戦へのスタートを切る。応援のおかげで少し足が軽くなったのもつかの間、ハーフマラソンであればもうゴールだったのにと、あらためてフルマラソンの厳しさを痛感する。そして気温は更にあがりこの10時の時点で約29℃に達し、暑さも本格的に増し始める。

We are all winners - 2

マラソンの当日は、レーススタートの3時間前、朝5時に起床。大イベントの前夜にしては、皆ぐっすりと寝たようだ。今回の応援団長elも朝早くから起きて、皆にざるうどんと卵焼きを作ってくれた。おかげで、消化の良い適度な量且つ、炭水化物をしっかりと摂取し準備は整う。

朝食後は、時間を少し持て余したため、Youtubeで「絶対にすべらない話」をストレッチしながら見る。これがまた、とても面白い。トイレや、何かと細かい準備を各々が整い、ようやく7時前に家を出発。外は、24℃と既に暖かい。

タクシーで向かうつもりが、なかなかタクシーが捕まらない。ようやくタクシーを見つけ、無事スタート地点のミレニアムパークへ。既に数万人で会場は溢れ返っている。設置された数十個の簡易トイレには、各トイレに30人以上の列が並んでいる。1人平均2分でも、1時間。この人達はスタートしても並んでいるであろうと悟り、木陰でひっそりと用を足す。

前回のハーフマラソンで得た特別のスタートポジションCに向かうため、「ゴールで会おう」と約束をし、皆と別れる。

そして、お馴染みのアメリカ国家が流れ、盛り上がりは最高潮に。この日ばかりは、胸に手を当て心から聴きいる思いで、歌を聴く。elにも完走の誓いと共に別れを告げ、いよいよ1人に。マラソンはあくまで自己克服的な個人競技。高ぶる気持ちをコントロールし、精神統一。

スタート!!!

ついに42.195km(26.2mile)の旅が始まった。

Tuesday, October 09, 2007

We are all winners - 1


10月7日日曜日、天気晴れ。いよいよマラソン本番。
この「晴れ」がとんでもない事になることは知らずに、マラソンに挑む。

とりあえずは、本番前の出来事から。10月5日金曜日、中学、高校時代からの親友で、今回日本から遥々一緒に参加するまめさんとK、そしてまめさんの同僚テッちゃんが朝方シカゴに到着。この30歳の節目としてマラソンを決意した際、皆に声を掛け唯一のって来た2人。思い返せば、地元の芦屋から岡山へ自転車で旅行したり、バイクで日本を縦断したり、車でアメリカ一周、バハ・カリフォルニアを縦断したり、とにかく今までの好奇心から生まれた挑戦を常に共にした、いつもの2人である。

この日は仕事があったため、各々が目的地を観光し、夕方合流。パームコーブでの結婚式以来の再会。地元の友達がシカゴに来るのは初めてのせいか、かなり不思議な感じ。でも相変わらずのノリで3分で馴染む。昔からの友人は、パームコーブでもそうであったように、何処で会おうが、その場をホームグラウンドに変えてくれる。

夕方から大会ではお馴染み、参加必要用品がまとめられたパケットをピックアップするため、シカゴ最大のコンベンションセンター「McCormick Place」に車で向かう。この時点でシカゴの異変に気づく。マラソンイベントの熱気のせいか、普段より街が蒸し暑く、人がとても多い。通常車で15分かかる距離が、1時間かかる。金曜日には、もう既にシカゴマラソンの熱気と人で街は溢れかえっていた。

とてつもなく大きな会場に、びっしりとあらゆる類の記念品やランニンググッズが販売され、自分たちもMIZUNOのシカゴマラソン記念Tシャツを購入。容易にマーケティングに引っかかる。今回のマラソンに向けて共にトレーニングに励んだ、情報には隅から隅まで目を通す会社の同僚Oさんから、いつものように要領をあらかじめ教わっていたため、ピックアップをスムーズに終える。街の混み具合や、会場の大きさから、あらためてこのマラソンの規模の大きさを実感する。

その晩は皆でシカゴ名物のスペアリブを食べて、久しぶりの再会とマラソンに向けての意気込みで盛り上がる。

10月6日、マラソン当日早朝5時に起きることができるよう調整するため、6時には起床。朝早く起きてすることと言えば、ゴルフ。まめさんとてっちゃんをLincoln Park付近まで送り、KとCog Hillへ。

午後は足腰が疲れない程度にダウンタウンをぶらつき、夜はパスタを食べにレストランへ。炭水化物を多く摂取することがマラソンにとっては重要な準備のひとつであるため、ダウンタウンのイタリアンレストランはランナーで賑わいどこも超満員。車を20分程走らせ、郊外のイタリアンレストランで食べる。5皿のパスタにリゾット。体中に炭水化物が蓄積され、大満足。

帰宅後、明日の作戦会議を軽く行い、各々ランニングウェアにゼッケンをつけたり、名前を貼付ける。この貼付けた名前が、42.195kmを走り切る要となることも知らずに。

11時には就寝し、翌日の本番に備える。

Monday, October 01, 2007

Air structure

20milerを終え、調整も順調に進んでいる。

先週末に20kmをこなし、今週末は13km。決して楽なわけではないが、全く問題なし。今週は栄養と休息をしっかりととり、足腰をいい感じに休めて、本番に備える。

20milerの直前に靴を買い替えた。今年2月、トレーニングをし始めた頃、今回のマラソンように、自分で好きな色や模様を選びデザインをした靴を購入した。その靴は本番用にと思い、練習用のつもりで購入し履き続けた「Nike + Air Structure Triax 10」を結局再度購入し、マラソンのお伴にすることに決めた。さすがに気分を変える為に今回は違う色を選んだが、全く一緒の靴を購入したのは初めてである。今までのトレーニングで履き続けた靴は、300mile(480km)以上のランニングをこなしたため、一見まだ綺麗な靴も靴底のクッションがへたれ、靴底も古いタイヤのように擦り減った。色々他の靴も履いてみたが、やはりこの靴が自分には一番あっている。

決してデザインが好きなわけではない。むしろ、ちょっとテクノロジーを連想させるデザインがとてもダサイ。ジーパンにタックが入っている人が私服で愛用しそうな、そんなデザイン。

でも、今回の42,195kmを安心して任せることが出来る存在。今まで480kmを共に走ったからこそ生まれる、全く疑いのない信頼感がこの靴にはある。そんな頼れる靴に出会えることができて、とても感謝している。しっかり走ってくれよ。

Sunday, September 16, 2007

Ready to run

今日はいよいよ20mile(約32km)。

18週間のトレーニングで最も長い距離である。その記念すべきトレーニング最長距離を、ペース・グループに別れて、3000人が参加して走り、全員で盛り上げるイベント「20miler」に参加した。この典型的なアメリカンな発想、自分が好きなアメリカの1部分でもある。

学生時代、「ナイト・ハイク」といわれる、京都衣笠キャンパスから滋賀県草津に新設されたキャンパスまで徹夜で歩くイベントに参加した。その際に歩いた「30km」が、人生で最も長い自足で移動した距離である。徹夜というコンディションもあり、20歳という若さながら疲労困憊した記憶がある。それを30歳になった今、歩くのではなく、走るのであるから、これは間違いなく苦戦を強いられる。


朝5時30分に車で家を出て、スタート地点のFoster Avenueまで車で行く。住んでいるダウンタウンエリアから、車でも20分かかる距離にあるスタート地点。そこからミシガン湖沿いを延々と走り、ダウンタウンを通過しても半分弱であるから、その距離は果てしなく長い。

随分日の出の時間も遅くなり、6時に現地に到着してもまだ朝焼け前。そして、外気温はほんの10℃、寒い。あの冬がまたやってくるのかと思うと、気が少しめいる。

お約束のPacket Pick up(ゼッケン等、イベントの必需品を予めピックアップしなければいけない)を無事に終え、ストレッチ。最近、足や腰が痛むことがあるので、いつもより入念に。


ミシガン湖のとても綺麗な朝焼けを見ながら、寒くてもシカゴに来て本当に良かった、シカゴマラソン参加を決意して本当に良かったと、感慨にふける。

朝からしっかりと水とスポーツドリンク、そしてアイスコーヒーを飲んだせいか、3回用を足す。

準備万端。いつものペース8分30秒のグループを見つけて、7時過ぎにスタート。

最初の6mileは難なくクリア。今年の最初、6mile(約10km)を走る時は自分の中では大きなイベントであったが、今となっては「ちょっと走ってくるわ」で走る、ホッとできる距離である。

6mileから12mileまでは、決して楽ではないが安定した走りで、これも難無くクリア。給水所毎にしっかりと水分補給を行い、いよいよ後半戦。

未経験の距離14mile(約22.5km)過ぎた時点から、足の疲労を急激に感じ出す。これから走る一歩一歩が、自己最長ランニング記録となる。筋肉疲労のため、ペースが落ち出しているのに気づく。未経験の距離を走る時は、無理にペースを維持するよりも、距離感と経験を得るための完走が重要であると自分で納得し、少しペースダウン。

15mileからは、筋肉疲労とエネルギーの消耗、そして精神的にも厳しいせいか1mileの距離がとてつもなく長く感じる。普段の1.5倍くらいの距離に感じる。心肺機能はとても安定しているが、足の筋肉疲労と、エネルギー消耗による空腹感に襲われる。空腹で目眩が始まる直前だったであろうか、給水所でゼリーが支給されている。とても有り難い。このスポーツ用のゼリーは、とても甘いがマラソン等エネルギー消費の激しいスポーツに必要な栄養素がたっぷり入っており、これを食べると本当に生き返るのである。

16mile、17mile、18mileとひたすら残りの距離の標識を探して走り続ける。ここまで来ると「完走」のみが目的である。いよいよ19mileの標識を見つけ、残すところ1mile。ここまでくると、どんなアクシデントがあろうが、怪我をしようが、はってでもゴールまで行けるだろうという思いで気持ちは楽になる。この時点で、両足は石のように固く、これ以上の距離を頼み込んでも走ってくれるとは思えない。

ゴール!

終わった。長く果てしない20mile、そして1月から取り組んできたトレーニングの総決算が終わった。平均ペース8分05秒/mile(5.02分/km)、2時間50分17秒、消費カロリー2354。3食の摂取カロリーを上回る量を3時間弱で消費してしまうため、空腹になっても何の不思議も無い。


ゴール地点では、お決まりのT-shirt pick up(ランニングイベント毎に記念Tシャツがもらえる)、バナナ、スポーツドリンク、水、パンを無料で配布、バンドの演奏やマッサージまである。一通り見て回り、スタート地点への送迎バスが混む前に足早に乗り、帰路へと向かった。


シカゴマラソン本番まで3週間。まだ残る本番に向けての調整トレーニングをしっかりとこなし、今回20mileで得た経験をしっかりと振り返り、10月7日の本番に挑む。

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